常識的には脇障子は、柱上に竹ノ節を配し欄干を彫って完成といわれるが、それが無いのは手を省いたのではなく、宗教建築では完成後は下降期となるという縁起により意識して付けないのだろうと言われている。
本殿の彫刻は上州の左甚五郎と呼ばれた名匠(めいしょう)、関口文治郎と5人の弟子の手によって成っている。
但し向拝虹梁頭貫上の巨大な目貫龍は、本殿建立後38年、享和元年(1801)に氏子中で献納されているが作者は不明である。
腰組三方九面にある唐子遊戯の場面の作品は、文治郎が好んで作品に用いている絵柄である。腰組にも浪、雲、を彫った板支輪を回している。
挿肘木鼻の唐獅子は二十体以上あるが、表情、形式が一つとして同一の型の作品は無く変化に富んでその創作性は驚異的である。
神獣像は獅子・象・龍・獏などが主体であるが、向拝柱上木鼻に珍しい麒麟が二体みられ、神舎柱と向拝柱は海老虹梁(こうりょう)で繋ぎ持ち送りに刳形の手挟を設けてあり 海老虹梁にも浪・雲の浮き彫りがなされている。 < 技の結集(1)へ