5.覆殿(おおいでん)

この本殿を風雨から護る建物として茅葺(かやぶ)きの覆殿(天覆(あまおおい)・上屋(うわや))が造られている。 本殿の屋根の風蝕状態から見て、覆殿は本殿建立後の比較的早い時期に造られたと考えられる。

現覆殿は、明治二十一年(1888)に従来の材料を出来得る限り使用して建築されており、記録により判然としているが、当郷(溝口)の中島平治郎が26歳の時に棟梁となっていて、 弟子のお礼奉公年明けの時と一致しており珍しいのは脇棟梁が師匠の宮下半太郎であり、おそらく親方が後見となった師弟合力での建立と推察される美談である。

請負額は人工177工となっており、一日の賃金が白米1升と、銭12銭5厘と記録も残されている。 巨大な大屋根を1本の筋交材もなく、四隅の親柱を中心に向かう角度で立てた四方拝み方式で茅葺きの大きな屋根を支えており、 専門家からも賞賛され本殿の重要文化財の附指定でこれも重要文化財に指定されている。

昭和五十年に一部屋根の葺き替えが行われたが、爾後(じご)三十余年が経ち長年の風雨に耐え難く全面の葺き替えが必要となった。 また、『伊那日光』と言われていた本殿の彫刻の彩色も褪色が目立ち、剥落もあり手をいれる必要が出て来たため、平成十五年度末から十六年にかけ国の補助を得て覆殿屋根の総葺き替えと、 本殿の一部改修、彫刻の補色、絵具の剥落防止といった大改修を実施した。

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  参考文献 長谷村の文化財
  中山九衛氏 補説
  谷村教育委員会 補
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以上1~5、「ダムニュース戸草美和No.38」より


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