八人塚(史跡)(2008.05.16 15:04)
戦国時代、伊那地方は武田信玄の軍門に降(くだ)りましたが、長谷の黒河内隼人政信をはじめとする上伊那の8豪族は反旗を翻し、 弘治2年(1556)に信玄が川中島で上杉謙信と対陣している隙を狙って、信玄と姻戚関係を結んでいた木曽氏を攻めました。 怒った信玄は8人の武将を捕え、伊那狐島で処刑しました。 黒河内の人々はひそかに8人の首を持ち帰り、政信の居城だった艮(うしとら)城の東のこの地に葬りました。 昭和50年に墓碑が建てられ、8人の武将の名が刻まれています。 毎年6月に区民により供養が行われています。